この4月で社会人生活丸30年となりました。共配物流本部の秋吉です。
今回はこの春で当社を卒業する、一回り上の元上司の方々についてお話したいと思います。
まず1人目です。
私が出会ったのは、2001年6月。当時、上司は産業給食の一元物流業務をやっていたセンターの拠点長で、私は運行主任でした。
ここは関東一円数百店舗への物流業務を行っていたセンターで、採算性や物流品質などに苦労していたのも知っていました。
初めは、自分でもなかなかやるべきことが分からなかったのですが、業務改善をしなければ事業として成り立たないこともあり、配送便の削減をすることや、納品先の条件変更などお客様へさまざまなご提案をしました。
そんな中で、当然上司と「現場のことも知らないくせに!」とぶつかる場面も多々ありましたが、「常に改善をする」ことや、「お客様に伝えるべきことは伝える」仕事の厳しさを教えていただきました。
また、いつも何かあると「ちょっといいですか!」と喫煙所に呼ばれて指示を貰ったり、意見を求められたりと、厳しさと信頼を教えていただいたと思っています。
そして、2003年3月。私に、元々の配属先である滑川営業所へ戻るように人事異動を頂きました。
まだまだ改善の道半ばでしたが、私の将来のことも気遣っていただき、送り出していただいたのだと思っています。
直接の上下関係は1年8ヶ月でしたが、ありがとうございました。


もう1人の上司は、私が滑川営業所の副所長(所長はいなかったのですが。。)になった2003年4月に、トラック協会主催の物流大学で、1年間一緒に学んだ時に出会いました。
毎月2泊3日でしたが、講義を受けた夜はほぼ全て、同業社やお客様との会食があり、常に誰かとのお付き合いでした。
これまでそのようなことをしたことがなかったので初めは楽しかったのですが、まだ経験の少なかった私は回を重ねるにつれ、「また今回もあるのかねぇー」ともう1人の同期と愚痴をこぼしたものです。
しかしここでは、同業社とは夜な夜な将来の物流のことを、お客様とはこんなことは出来ないかなどの話をしたり、中身の濃い経験をさせてもらいました。
翌年は、上司が所長、私が課長という立場で沢山の営業もしました。
そして、2011年3月の東日本大震災が起きた直後、小川警察署で緊急物資輸送として通行許可書を頂き、私の運転する車で波打った東北道を一緒に走っていきました。
宿泊は、宮城と秋田の県境にある宿泊客のいない、非常灯しかないホテルで温泉に入ったことを覚えています。
とても凄い経験をさせていただきましたし、行動力・一期一会の大切さを学ばせていただきました。ありがとうございました。
ここで引退をされますが、アサヒのOBとして、今後もあたたかく見守ってください。